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円谷さんと本多監督 金納雅彦

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今は様々な人が映画監督をやりますが、昔は総理大臣か映画監督になるのが男の夢だと言われたくらいで、エリートでなければ映画監督にはなれませんでした。戦前、戦中の円谷さんが関わった映画を観ると円谷さんの映画監督としての力は充分にあったもののエリートでないために本格的に映画監督の仕事をはできませんでした。戦争中に作られた「ハワイ・マレー沖海戦」で評価されたものの戦争に協力したということでまた10年近く仕事ができませんでした。そして昭和28年ついに「太平洋の鷲」でエリートの本多猪四朗監督と組んで仕事ができるようになりました。この映画は円谷さんにとって準備体操だったのでしょう。翌年の「ゴジラ」で円谷さんの本当の力が発揮されるのです。本多さんはエリートでしたが円谷さんより年下で円谷さんを尊敬していました。円谷さんも本多さんをよき理解者として感謝していました。「ゴジラ」では本多さんはドラマシーンを500カット、円谷さんは特撮シーンを300カットとし監督をしました。ひとつの映画をふたりで監督するのは前代未聞でしたが、本多さんと円谷さんはお互いに譲り合い仲良く仕事ができたようです。しかし円谷さんは戦争映画等で違う監督と組むこともあり「太平洋の嵐」では円谷さんの提案を松林監督が拒否したという話があります。やはり本多さんと円谷さんは名コンビとして長く名作を作り続けるのです。エリートは感覚で映画を作ろうとしますが、円谷さんは頭で合理的によくよく考え作らないと自己満足で終わってしまうと思っていたようです。これは孫子の兵法の考え方と同じと言えるでしょう。

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プロフィール

呉越の戦い

Author:呉越の戦い
金納雅彦 1958年2月20日福岡県に生まれる。中学生時代に無理な勉強をしてストレス病になり、いまだに治りません。しかし様々な経験から合理的に考えることの重大さを知ります。そして明治政府が孫子の兵法に大きく関係していることを発見します。以後、孫子に傾倒し研究を続けています。

「弱者の味方 孫子の兵法 」 簡単でよくわかる
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