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孫子はどう戦ったか 金納雅彦

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孫子は小国の呉の軍師になり大国の楚と戦うのですが、どういうふうに戦ったのかよくわかりません。資料が少ないし、あっても本当かどうかわからないのです。中国のドラマを観ましたが国王と何の論争もなく自分の力を見せるために孫子がふたりの歌姫を斬ったことになっていていますし、楚との戦いも計略をあまり立てず精神力だけで勝ったようになっています。おまけに軍師を辞退したことを裏切り行為として捕まり酷い目にあったり、最後はボケ老人として羊の群れに号令をかけています。孫子をリスペクトしている私としてはとても受け入れられません。しかし図書館で読んだ本に信頼できるような話が書いてありました。孫子は楚との戦いで先ず敵の出城を攻撃します。当然のように楚の大軍が援軍として駆けつけます。孫子の軍隊はとても敵わないので逃げ出します。そして楚の援軍は出城の軍隊と一緒になり孫子の軍隊を追いかけます。しかし孫子は別働隊を出城の近くに隠していました。空になっていた出城はあっと言う間に孫子の別働隊に占領されます。驚いた楚軍は全軍で出城を取り戻そうと引き返します。逃げていた孫子の軍隊はすぐ回れ右をして楚軍を後ろから攻め立て大きな損害を与えます。出城を占領した孫子の別働隊も外に出て楚軍は挟み撃ちになり総崩れをしてしまいます。それでも逃げ延びた楚軍はまだ大軍であり夜になって呉軍の陣地を襲撃します。しかし呉軍の陣地に明かりはあるものの誰もいません。突然暗闇から矢や火矢が一斉に降り注ぎます。陣地には燃えやすいものが多く置いてあり楚軍は火に包まれ壊滅してしまいます。それでも孫子は一気に楚を攻めようとせず仲間の兵士を増やし、今まで大国楚に圧力を受けていた周りの小国も仲間にしました。これは今の日本にも大いに参考になるのではないでしょうか。やがて孫子はスパイを使い楚の都郢の弱点を調べ一気に楚の都を占領したそうです。漢に貢献した将軍韓信や諸葛孔明も似た様な計略をやっています。ある漫画で孫子は少ない軍隊を大きく横に広げて大軍に見せかけ敵を総崩れさせたそうです。

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プロフィール

呉越の戦い

Author:呉越の戦い
金納雅彦 1958年2月20日福岡県に生まれる。中学生時代に無理な勉強をしてストレス病になり、いまだに治りません。しかし様々な経験から合理的に考えることの重大さを知ります。そして明治政府が孫子の兵法に大きく関係していることを発見します。以後、孫子に傾倒し研究を続けています。

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