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マリアナ沖海戦 金納雅彦

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「太平洋の翼」は昭和19年6月のマリアナ沖海戦の空中戦シーンから始まります。ミッドウェー海戦と比べると日米の立場が逆になっており、質量ともにアメリカが上回っていました。
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アメリカの正規空母15隻に対し日本は空母9隻、しかしほとんどが正規空母ではありません。したがってアメリカの艦載機は1000機以上、日本は400機程でした。しかもパイロットの技量はアメリカが遥かに上回っていました。
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アメリカは真珠湾攻撃直後から危機感を持ち空母の建造やゼロ戦に対抗できる戦闘機の開発そしてパイロットの養成を全力で実行しました。それに比べ日本は初戦の連戦連勝やミッドウェー海戦の敗北を極秘にしたため、B29が日本に飛んでくるまで、ほとんどの日本人が戦争は勝っていると思い込み、すべてにおいて全力を尽くしていたとは言えないのです。
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特にパイロットの養成を怠っていました。マリアナ沖海戦に参加した日本のパイロットのほとんどが真っ直ぐにしか飛行できなかったそうです。日本は戦争後半になって学徒出陣をやったことは有名ですが、アメリカが学徒出陣をやったのは真珠湾攻撃直後だそうです。
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マリアナ沖海戦ではミッドウェー海戦時の日本の驕りや油断はアメリカにはなく、どんな計略を考えても日本は一方的に負けるしかなかったのです。
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日本の艦載機は一方的に壊滅しました。日本の空母も潜水艦などの攻撃で3隻を失います。
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アメリカの一方的な勝利だったのですが、なぜかアメリカは艦載機を120機以上損失します。
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これは逃げる日本機動部隊をアメリカ機動部隊が無理に攻撃したためです。アメリカの艦載機は航続距離が短いため失った艦載機のほとんどが燃料切れの不時着か着艦の失敗だそうです。
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そして昭和19年10月のレイテ沖海戦で連合艦隊のほとんどが壊滅してしまうのです。

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プロフィール

呉越の戦い

Author:呉越の戦い
金納雅彦 1958年2月20日福岡県に生まれる。中学生時代に無理な勉強をしてストレス病になり、いまだに治りません。しかし様々な経験から合理的に考えることの重大さを知ります。そして明治政府が孫子の兵法に大きく関係していることを発見します。以後、孫子に傾倒し研究を続けています。

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