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三国志正史は作り話 金納雅彦

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日本で言う魏志倭人伝は陳寿が書いた三国志正史の中にあります。陳寿は蜀の人で身内を諸葛孔明に処刑され、いろいろと不遇な目に会い長い間逆恨みをしていたようです。やがて寝返り魏を正統とした三国志正史を書くわけです。彼は賄賂好きで要求した賄賂を拒否した人を歴史書に悪く書いたりしました。そのような人が公平な立場で歴史書を書けるわけがありません。文才はあったようですが、言い換えれば作り話が旨いことになります。正史というのは国が正式に認めた歴史書という意味で正しいことが書かれているという意味ではありません。むしろその国に都合のいい嘘が書かれている可能性があります。民主主義でも共和国でもないのに、それを国名にしているのと同じです。わざわざ正史と言うのは弁解でもしているような気がします。最も信頼されている司馬遷の史記は個人で書いた歴史書で正史ではないのです。日本はかつて徐福が数千人の男女とともに行ったきり誰も戻ってこない所で恐ろしい怪物でもいるのではと思われていたはずです。そこへ陳寿のような人が長々と留まり真面目に日本の歴史を見届けたとはとても思えません。日本に来てからの記述に矛盾が多くなるのはそれを裏付けています。得意の文才で小説を書いたのでしょう。後の三国志演義の演義は演技と混同され、ただのお芝居や作り話と思われがちです。しかし日本と中国では演の意味が違い演義とは正しいことを述べるという意味になります。つまり、あまりにも三国志正史に矛盾が多いので、これが本当の三国志だということで書かれたのが三国志演義なのです。陳寿は諸葛孔明を誉めておいて最後に戦争は下手だったと書いています。信用させてから嘘をつく詐欺師の手口です。また魏が勝利した戦争は大規模に、魏が負けたり関係のない戦争は小規模に書いています。ところで最も信頼されている司馬遷の史記ですが孫子のことを少し理不尽に書いています。しかし孫子がふたりの歌姫を斬らなければ論争に負け孫子が殺されたかもしれません。ふたりの歌姫は綺麗だったのでしょうが、多くの人命人権を守る孫子の兵法が世に出るための尊い犠牲だったのです。司馬遷は孫子の500年後の人で、日本人も戦国時代を語る時いろいろ違った意見があります。司馬遷も500年前のことを正確に知るのは難しかったかもしれません。そして平和主義の司馬遷が軍神と言われる孫子をあまり誉めるのはできなかったのでしょう。伝え聞く事実を客観的に簡単に書いたのかもしれません。とにかく孫子に傾倒する私は孫子は優しい人だったと信じるのみです。また天皇孫子説を考える私は卑弥呼の話より天皇の系図を信じることにします。もしかすると三国志演義が作り話だと言われるわけは、孫子の兵法によって弱者が強者を倒す奇跡のような痛快な話が沢山あるせいかもしれません。しかし日本も孫子の兵法によって日清日露という奇跡のような戦争を体験しているのです。三国志演義は孫子の兵法の玉手箱であり信頼できる歴史書だと考えます。なお三国志演義を書いた羅貫中は元王朝を倒す月餅作戦を考えた人かもしれません。

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どっちもどっちだと思いますが・・・

どちらかと言えば演義の方が矛盾が多いかとw

Re: どっちもどっちだと思いますが・・・

> どちらかと言えば演義の方が矛盾が多いかとw


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プロフィール

呉越の戦い

Author:呉越の戦い
金納雅彦 1958年2月20日福岡県に生まれる。中学生時代に無理な勉強をしてストレス病になり、いまだに治りません。しかし様々な経験から合理的に考えることの重大さを知ります。そして明治政府が孫子の兵法に大きく関係していることを発見します。以後、孫子に傾倒し研究を続けています。

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